移民前夜(1/5)

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 親の獲得した行動が遺伝するよう改変された母体から生れ落ちた彼は即ち純正の開拓者だった。つまり、馬鹿げた熱帯の、馬鹿げたジャングルの、馬鹿げた緑の大伽藍を木っ端微塵にして村を作り、祖国の版図を広げることこそ、彼が生れた瞬間に定められた使命だった。事の起こりは、まだ革命も占領も起きていなかった時代に遡る。未踏の地に派遣された開拓使は、隣国が兵士と移民をジャングルに次々送り込んでいる現状を視察して、いずれこの地は我らが偉大なる祖国をわけしり顔で侵攻するための忌々しい前進基地と化すであろう。との報告を行った。祖国のお偉方は青ざめた。今すぐにでもこの地は開拓されなければならない。先住民の集落とマラリアを運ぶばかでかい蚊と泥水以外には木しかないこの地は切り拓かれ、発展しなければならない。我らが祖国の領土として。故に彼は派遣された。パンと土地に釣られた公募移民や屯田兵に先駆け、環境整備を行う為に。その時彼が持ち込めたのは、身の回り品としては手斧と地図を描くための筆記用具、それから三匹のイリーヤと、ナスの缶詰六千個のみだった。後に彼はイリーヤを繁殖させ、一時期は六十匹も飼っていたが、先住民に強奪され祭事の生贄に用いられたり(矢鱈に木の幹を打ったり、処女のおまんこをチンポに似た形のヤシの新芽でぶち抜いたり、ヒョロヒョロとした甲高い悲鳴で輪唱する手のものである)、さもなければ野生化したりで、缶詰の数が三千八百個になる頃には、六匹しか残っていなかった。この畜生は、ジャングルの六本足連中と交雑し、のし歩いたり、踏み殺したり、シュロの木陰で唖然とするほどディープなフェラチオに耽ったり、平たく言えば開拓の障害、あるいは単なる動物性蛋白源に成り下がった。

 何から何まで彼の裁量次第だった。町の場所を定めるのも、道路一本引くのも。ただ、一人では手に余る仕事ばかりだった。昨日馬鹿面のバンブーをなますに切り刻んだ跡地には、順番待ちしてた次の木が早速入植した。連中は雨さえ降れば一日で彼の背丈ほども伸びた。大木を切り倒せばそこに陽光が差し込み植物は我が意を得たりとばかり成長した。根扱ぎにしようとも彼が持っているのは大雑把なつくりの手斧だけだった。祖国の移民政策は実に優れた予算配分の下に行われたので、開拓者にはスコップ一つ供与されなかった。何にせよ彼の試みはジャングルの繁茂に手を貸すようなものだ。むろん、一向にやってこない移民や、切れば切るほどタフになる、まるきりケツ毛とおんなじ性質を有するジャングルなどは、彼にとり問題にならなかった。死ぬまで甲斐無き樵仕事に従事しようと苦にならない。彼はそういう風に生まれたのだ。

 彼はとりあえずの住居に定めテントを設営した場所の周りを執拗に開墾した。いくら木を切った翌日、前日以上に茂っていようと、頓着せず手斧を振り回した。祖国の軍歌を口笛で吹きながら素手で地面を掘り、根をぶっこ抜いた。露呈した真っ赤な酸性土をイリーヤに踏み固めさせた。三年かかって、彼は前進基地の周囲、半径四メートルを更地にした。三日も放置すればあっという間に下草が生えてきたので、手の休まる暇はなかった。イリーヤが幾ら貪り食ってくれても、雑草は意固地になって生えまくった。ついに彼一人の(テントよりはずっとまともな)住居が完成すると、そこから前述の通りの生活がはじまった。道路を作ってはキスの木に茂られ、地図を作っては出鱈目な繁茂によって陳腐化し、有毒の茸を食っては三週間の下痢と闇雲に華やかな幻覚に悩まされ、ナスで口周りをひりひりさせ、それでも前進基地を防御し、いずれ訪れるだろう移民の為の環境整備を繰り返した。もし誰かが何かの偶然で彼を訪い、事情を知れば、その誰かは、開拓者を、罵るか説得するかどっちかの手段でこの仕事から引き摺り下ろそうとしただろう。

 手紙の話をしよう。専用の鷲が運んできてくれる奴だ。それは一週間に一度、手紙官から彼の許に届けられる。手紙の内容は、手紙官の近況や祖国の現状、激励の言葉、その他本当にどうでもいいことなど多岐に渡った。親が文字を修得していたので彼もまた文盲ではなかった。その点で言えば祖国の連中の半分がたより彼は卓越していた。祖国の採用した三十四の表音文字を彼はすらすら読み下せた。彼は感想などとくに持たなかったし、手紙は一度読まれるなり焚き火にくべられよく燃えるという役目を果たした。手紙への返信も彼の仕事の内だった。彼の手紙には事実がただ書かれてるだけであってそこに情動やら何やらは一切焼き込まれない。それはよかったですねえ。的な儀礼的返答、ここ最近行った活動、それから缶詰の残り数だとか、その程度のことしか描かれていない。

 開拓者からの手紙を受け取った手紙官はそれに推敲を加える。その過程で、食人植物との壮絶な闘い、沼沢地での遭難、嵐の中の決死行などが追加され、完成した手紙の抄録は国営新聞の六面に記載される。このような困難を乗り越え、やがてこの地を安全で快適な世界に作り変えることが、わたくしに課せられた使命であり、また、喜びでもあるのです。というような言葉で、手紙は締め括られる。むろん、当然出てくるのが、果たして本当に開拓者は存在するのか? という類の疑問だ。移民を募るポスターは何年も張り替えを忘れられ、単なる黄ばんだ紙と化した。新聞の六面の記事にしても、革命の時分は、根っこ同士の複雑な絡み合いが生じさせたニューラルネットワークにより知性を持った森と開拓者の果てしない戦いを、延々と連載していた(締め括りは毎回律儀に、『この闘いこそわたくしの喜び云々』といったものだ)。開拓者からの返信は、回を重ねる毎にセンテンスを減らし、やがてなすの缶詰の残り個数のみしたためられたものになっていったので、これはある意味仕方ないのだが。とにかく、新聞の六面に荒唐無稽な嘘を記すのはけしからんので代わりに俺のエッセイを載せればいいのになあと思う人間は無数にいたし、移民募集ポスターの残り滓がへばりついた壁に自分のところのポスターを貼り付けたい歯医者だって無数にいた。そうした徒輩にとってむしろ開拓者は邪魔臭い存在であり、そういう連中は、開拓者なんか居ないと本気で信じ込んでいる連中を上手く焚き付け、ちょっとしたデモなどを起こさせたりした。