移民前夜(2/5)

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 最初、祖国のお偉方はデモをガス抜き程度に考えていた。焦土作戦により発生した大量の難民が、ステップを彷徨う過程で蛮族に一人残らず平らげられた事件も、このデモの鎮火と同時に忘れ去られるだろうと踏んでいたのだ。それは間違いだった。途中経過を省くと、デモは早々に暴動に移り変わり、暴動はいつの間にか革命になっていた。そういえば君主政権なのは我々の国だけである。ということに、みんな気づいたのだ。むろん、君主政権が悪いのは君主政権だからだ。誰かがユンボを転がしてきて、糞王の首を成層圏まで蹴っ飛ばしてやるぜ、ヒャッホー。などと叫びながら宮殿の壁に横穴を空けた。怒れる臣民が王宮に雪崩れ込んだ。糞王の首は蹴っ転がされて庭園の池にぼちゃんと飛び込み、無政府状態が訪れた。

 隣国が、これを見逃すはずはなかった。まず調査団を送り込み、『内乱を招く恐れあり。内政干渉已む無し』というような調査結果を引き出した。即座に陸軍二個師団がジャングルを踏み越えやって来て、治安維持の名目で居座った。主権が回復すれば即座に撤退するというようなことを隣国は言ったが、その裏で、主権を回復させてくれそうな有能な人間を片っ端から処刑していた。こうして祖国はあっさり占領された。本来、このような事態を防ぐ為に開拓者は派遣された筈なのに、その開拓者の在不在問題が占領の引き金になったのであった。

 そのような状況下でも手紙官は開拓者に手紙を書いたし、開拓者は手紙官に返信した。祖国が占領されたことについての開拓者の返事は、『それは全く遺憾に思います。開墾は半径六メートルから四メートルを行き来しています。ところでなすの缶詰が残り四百六十個になりました』というものだった。そして新聞には相変わらず開拓者からの手紙を好き勝手に解体再構成したものが載っていた。森との闘いは開拓者の勝利に終わっていた。新展開は、開拓者と、先住民族長の一人娘とのラブロマンスだった。密会が知られれば、開拓者は先住民の手によって八つ裂きにされ、贄として夜の饗宴に供されるだろう。娘は娘で、村中の男に強姦され、言葉に出来ぬような責め苦をたっぷり味わった後、土に還らぬような処理を施され打ち捨てられるだろう。そして、二人の愛は、キノコ採り少年の密告によって露見した。

 副王は、国営新聞がこんな益体なき荒唐無稽な物語の為に紙面を裂いている理由が全く理解できなかった。それ故に開拓者の物語は放置され、人々の心の中で育まれた。手紙官の描くストーリーは、メタファに彩られた神話と化していった。激しい戦いの末、先住民を一人残らず爆殺して(もちろんキノコ採り少年も含めて。少年は祖国の国民性に合わせたやり口で念入りに殺された)娘を獲得した開拓者の姿に、人々は喝采を送った。一方で開拓者自身はと言えば、一昨日六時間かけて手斧で打ち砕いた杉の木の股から吹き出した新芽を、怒る様子もなく悠然と踏み躙ってから前進基地に帰ったり、落とし穴で野生イリーヤを捕獲したりしていたのだった。手紙官が受け取った開拓者からの手紙には、野生動物用の罠の、ちょっと偏執的なぐらい細部まで書き込まれた図像が描かれていた。打つ手無しだなと手紙官は嘆息した。