死の床に横たわりて

死の床に横たわりて (講談社文芸文庫)

死の床に横たわりて (講談社文芸文庫)


八月の光』よりも、こちらの方が個人的には好みだ。というのも、俺はドストエフスキーから小説に入っていったので、
「小説というものはポリフォニーであればあるほど愉快」
という、自慰の仕方を間違えて覚えた中学生みたいなところがあるから。尚、補足。俺はバフチンという人のことを全く知らないので、ここで使ってるポリフォニーは、『色んな奴おって好き勝手喋ってるやん。はは、おもろ』ぐらいの意味。


この『死の床に横たわりて』は、一人の女の死と、その死体を収めた棺桶を家族が運んでいく、というメインプロットを、十五人のキャラクターのモノローグで進めていくという、『はは、おもろ』の極限のような小説だ。

とくに好きなのは、ヴァーダマンの、失語症的な語り方。理性など一個も無い、剥きだしの情動がセンテンスになって走っていく、居心地の悪い気持ちよさは素晴らしい。

デューイ・デルもいい。あらゆる出来事が自分の妊娠めがけて反射していき、殆どオリジナルな言語が構築されている。

幾つもの声が、宝石の中で反射を繰返す光のように物語の内圧を高めていき、最終的に、突き飛ばすような乾いた終わり方をする。この異常な小説を噛み砕いて理解することは、俺には、多分あと十年ぐらいしないと無理だろう。多くの作家に、傷跡のような影響を与えただろうウィリアム・フォークナーが物語の中に押し込んだ、幾つもの声、俺は声を聴くことはできるけど、声を放った人の思いまで分け入ることが全く出来ないから。