八月の光

八月の光 (新潮文庫)

八月の光 (新潮文庫)

加島祥造訳、新潮社。昭和四十二年八月三十日発行

新潮社の海外古典文庫にラインナップされているような古典について語るなんて、「おこがましい」と「有名すぎて大体の人は知ってる」の二点でもって、意味が無い行為だと言えるかもしれない。ので、自分語りから始めたい。

俺は古川日出男の小説が好きで好きで、「十九世紀ロシア文学」とか「日本近代文学」とかいう小説ジャンルの中に「古川日出男の小説」があってもいいぐらいだと思っている。そして、古川日出男のルーツを海外に求めれば、スティーヴ・エリクソンだったり、G.ガルシア=マルケスだったりするのだと思っている。更に遡っていけば、ウィリアム・フォークナーは、源流のようにそこに居る(エリクソンに関すれば『黒い時計の旅』で柴田元幸が指摘した通り、マルケスに関すれば言わずもがな)。

だから、個人的に言えば、ウィリアム・フォークナーについて語ることにはそこそこ意味がある。


粗筋や、「クリスマスとリーナ、どっちが主人公?」みたいな問題は別にいいだろう。八月の光を受けて誰かの死を望む、あの美しさも別にいい。ゴシック体やフォントの使い方の妙、ここぞというタイミングで使われるリフレインなんかだってもう皆語ってる。

さて、常に人を語ったフォークナーにならって、俺も人を語るのならば、俺はバイロン・バンチがいっとう好きだ。

 人の心を傷つけずに過せる場所としては、土曜の午後のあの工場の中こそ、まずいちばん安全だ、と僕はそう思っていたんです。(新潮社版『八月の光』三十二刷改版、p101bl2)


バイロン・バンチ。全く凡庸で、少しずるくて、過去に何もせず、未来に何も為し得ないだろう男。俺が好きなのは、バイロン・バンチだけ、歴史を持ってないところだ。

例えばダン・ダムド(呪われた者)、ハイタワー。彼には南北戦争の歴史が畳み込まれている。
例えばジョアナ・バーデン。彼女にはヨクナパトーファの歴史が畳み込まれている。
例えばジョー・クリスマス。彼には血統の歴史が畳み込まれている。
ブラウンやリーナは、ヨクナパトーファの外からアラバマの歴史を持ち込んでいる。

そんな中でバイロン・バンチだけが遊離している。彼は物語の外縁部を終始うろうろし続ける。接着剤みたいな役回りで、代替可能。

何かを為そうと決意したところで、バイロン・バンチは何も出来ない。唐突だが俺はガンオタなので分かりやすくガンダムで例えると、カツ・コバヤシみたいなキャラだ。


歴史を持たないバイロン・バンチは、ジョアナやハイタワーやクリスマスのように、自らの歴史性に翻弄されることがない。出来うる限り誠実に、未来を選択しようとする。情念と歴史が濃いスープみたいに渦巻く劇中で、クルトンみたいにぷかぷか浮びながら、目指すところを一心に目指す。何にも縛られないバイロンは、小説の最後、全く相手にされないのを知っていながら(それでも一縷の希望に縋って)リーナ・グローブを追う。八月の光の荘厳で狂気じみた美しさよりも、よほどバイロン・バンチの、土臭い奮闘の方が、俺には美しく思える。